核の傘 2013 8 3

 2013年8月3日の朝日新聞には、
「深まる核の傘への依存」という記事があります。
 これは、核実験を繰り返す北朝鮮を考えれば、
アメリカが提供する「核の傘」への依存が強くなるということでしょう。
 こうした問題は、数十年前にもあったと思います。
中国が、1964年に核兵器を完成させた時に、
おそらく日本政府内では、それに対抗するために、
「日本も核武装すべきだ」という議論があったと思います。
 しかし、アメリカが日本へ「核の傘」を提供するということで、
「日本の核武装を阻止した」ということでしょう。
 現在、中国に続いて、北朝鮮も核実験を繰り返し、
「事実上の核兵器保有国」となっています。

書名 東京に弾道ミサイル! 核災害で生き残れる人、生き残れない人
著者 高田 純  オークラNEXT新書

 「永田町から首都の壊滅を見ることになるとは。
これが1945年以来、平和を希求してきた日本の結末なのか!」
 地下鉄の通路を駆け上がって急いで地上へ出た、
政治部記者の平岩は絶句した・・・・・。
国民保護警報が鳴り始めてから、わずか1分後だった。
 20キロトンの核ミサイルが、
赤坂にある全日空ホテルの上空600mで爆発したのである。
 イージス艦は、20発のミサイル発射を確認。
そのうち、10発が弾道ミサイル。
残り10発のミサイルは、巡航ミサイルで、
日本海に展開していた日米の艦船に向かった。
 最高高度300kmから放物線を描いて落下する核弾頭を含む再突入体は、
速度をぐんぐんと増し、音速の8倍となって大気圏に突入してきた。
 市谷にいた部隊は、天空から高速で落下してくる10個の再突入体へ向けて、
16発の迎撃ミサイルを、次々に発射した。
 しかし、もととも個々の命中率が10%以下と低い上に、
敵の弾道ミサイルが近距離から発射されているために、
迎撃の時間が極端に限られていること、
さらに多数のおとりの再突入体のために、
自衛隊の迎撃は失敗に終わった。
(以上、引用)






































































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